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長唄「汐汲」の歌詞とお稽古と、能「松風」

更新日:2月27日

2月21日国立能楽堂で梅若紀彰師の「松風」を観てきました。

演能の感想は最後にして…

まずは、能の「松風」に取材した日本舞踊や歌舞伎舞踊の演目「汐汲」の歌詞を見ていきたいと思います。


日本舞踊の「汐汲」の構成は、

(1) 烏帽子・狩衣をつけて汐汲桶を担いで花道→ (2) 本舞台で汐汲の様を見せる→ (3) 扇子を持って情景描写をする→ (4) クドキ→ (5) 三蓋傘を持った踊り→ (6) チラシとなっています。


日本舞踊や歌舞伎舞踊は、途中で物語の筋とは直接関係のない(5)踊りが入っているのですが、それ以外は松風と共通するテーマが織り込まれています。


特に重要な歌詞を抜き出していきます。


●まず一つ目 (花道)


「ゆかしき伝(つて)も知ら浪の 寄する渚に世を送る いかにこの身が蜑(あま)ぢゃというて」


これは、

「白波の 寄する渚に 世を過ぐす 海人の子なれば 宿も定めず」(和漢朗詠集 巻下-七二二 海人詠)が背景にあります。源氏物語で夕顔が「海人の子なれば」と源氏に打ち解けない様子が美しく感じてしまう場面で使われています。


「家も何もない、月だけが友だちですもの・・・」という思いが見えてきます。


この出の部分、恵都子先生のお稽古は、登場人物の人となりが掴めるまで何度も何度も繰り返し、なかなかOKがいただけない部分でもあります。


●2つ目 (本舞台)

「これにも月の入りたるや 月は一つ 影は二つ三つ」


能の詞章「これにも月の入りたるや。うれしやこれも月あり。月は一つ。影は二つ、満つ汐の、夜の車に月を載せて」


能では「満(3)つ汐の、夜(4)」と数字を重ねた表現なのですが、汐汲の歌詞であえて「満つ」ではなく「三つ」にしたのは、松風・村雨・行平を想像させるためではないかと考えてお稽古しました。


この本舞台に入ってからの部分も、月が感じられるまで何度もお稽古を繰り返しました。特に後ろ向きで月を眺めたり、振り返り桶の中の月を見るところなど、徹底的に叩き込まれました。


●3つ目 (扇子を持った踊り)

「見わたせば 面白や 馴れても須磨の夕まぐれ 漁(すなど)る舟のやっしっし」


能の詞章:シテ「面白や馴れても須磨の夕まぐれ、海人の呼び声かすかにて」

それまで儚さが漂っている舞台は、ここから汐汲を楽しむ趣に。


日本舞踊でも、扇子を持って場面がガラリと変わり、スッキリとした雰囲気で須磨の風景を表現します。


●クドキと踊り地

この後、日本舞踊や歌舞伎舞踊ではクドキの場面になり、その後、ストーリーと関係のない踊り地では三蓋傘を持ってパッと華やかな場面に変わります。


●最後(チラシ)

「暇申して帰る波の音の 須磨の浦かけて 村雨と聞きしも今朝見れば 松風ばかりや 残るらん 松風の松風の噂は世々に残るらん」


能の詞章:わが跡弔ひて、賜び給え。暇申して帰る波の音の。須磨の浦かけて、吹くや後の山おろし、関路の鳥も声々に、夢も跡なく夜も明けて、村雨と聞きしも今朝見れば 松風ばかりや 残るらん。


最後の場面、お稽古で「扇子で日が昇るのを表し、目線は遠くの日を見る」と教わり、昇ってくる日の高さをイメージしようと日の出を想像した時、それまでのお稽古で(踊り地以外)常に月の存在があったのに、夜が明け”消えた”ことに気づき、不意に涙があふれそうになりました。

それはお稽古の前に抱いていた悲しいとか哀れというイメージとは違い、これは松風にとって夢物語だったのだと気づいたから。海辺の賤しい身分の海女が王子様と恋に落ちる。

お稽古の終盤になって、やっとこの演目の理解が深まった時でした。

月が感じられるまで厳しいお稽古してきた甲斐がありました。

それ以来、この演目が大好きになりました。




●さて、今回の演能「松風」の感想というか、大切に引き出しにしまっておきたい発見。

松風が烏帽子・長絹をつけた姿で物狂の状態になると、村雨にその執心があさましいと留められる激しい場面の後の出来事。

松風が橋がかりの方に駆けていくと、シテ柱に肩をぶつけてしまったのです。あの小さな能面の目の穴をシオル手で前を塞いでいれば、ほぼ視界がなく、前が見えないのだから、そういうハプニングもあるでしょう。

ここで何が発見だったかというと、その前の場面の盛り上がりがあったからこそ、まるで街中で泣きじゃくって走り去る乙女が通行人にぶつかってしまったようなリアルさを生み出していたため、とても納得したというか、そこには柱ではなく人がいるかのような錯覚をしました。

想像は観客が勝手にして許されるものだから、今回発見したリアルさは引き出しに大切にしまっておこうと思いました。

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