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能「鸚鵡小町」で実感した人生100年

鸚鵡小町を観てきました。2時間弱の長い演目。

内容は、100歳の姥となった小野小町(シテ)が、和歌を下された帝に鸚鵡返しの技法で返歌をするというもの。


昨日の舞台は、

帝より歌が下されたと知った途中から面白くなってきたのに対比して、そこに至るまでのシテの最初の場面がすご~く長く退屈に感じられたのです。

その前後の時間の感覚が、老いと生き方というものを考えさせられる舞台でした。


まずは、長く退屈な場面:

都で物乞いをし終えた小野小町(シテ)がトボトボ歩いてきて、長い人生を思う

そしてワキに今の侘しい生活を話す


子供の頃は「長生き」とは尊いものだと思っていませんでしたか?

それが、社会保障などを理解できるような年齢になるにつれ、「長生き」というものは、公的年金保険がカバーする人生の3つのリスク「障害」「死亡」「長生き」の一つという、”尊い”ものから”リスク”という理解に変化してしまう…


昨日の鸚鵡小町の舞台の前半は、まさしく、”リスク”を意識させらたのです。

さらにあの時代において年金はないのだから、あの小町といえども物乞いをすることの哀れさも…


そして途中から面白くなってくる場面:

シテ「何と帝より御憐れみの御歌を下されたると候や。」と喜ぶが、老眼で文字が読めずワキに読み聞かせてもらう

シテは「鸚鵡返し」で返歌をする


このシテ観世清和宗家のセリフで、一気に舞台の空気が変わったように感じました。

続くクリで100歳の老女となってもなお小野小町が持つ和歌の才能の偉大さにハッとさせられ、クセで肚落ちしたのです。

(あぁ、才能の使い方、生き方で、長い人生は大きく変わる…)と。


ここまでくると、杖を持って舞う姿でさえ、その美しさに魅了されてしまい、最初に感じた長〜く退屈な時間とは逆に、あぁもうすぐこの能が終わってしまうと感じてくるのです。


人生100年時代と言われる現在では、長生きに役立つ様々な情報が飛び交い、時間効率を求められるタイパという価値観の中での生活になってきていますが、このようなタイパとは真逆の時間の使い方で、人生100年を実感させられるのだから舞台って面白いとつくづく感じました。




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